政治2.0

アメリカの民主党の大統領候補が本日決定した。当初の予想を大きく裏切り、初の黒人大統領候補であるオバマ氏である。福井県小浜市の応援が効いたのだろうか。もっとも、まだ「候補」であって、大統領が決まった訳ではないのだけれど。

今回の大統領選挙で注目すべきはやはりインターネットの活用だと思う。前回の2004年の時の選挙に比べれたインターネットの普及は加速度的に進んでいる上に、今回はYoutubeなどのビデオメディアが多いに活躍していた。何より、ネットに馴染んだ層が選挙権を持ち始めたというのが大きいと思う。

そんな彼らがソーシャルネットワークを代表とするインターネット上でのコミュニティの力でじわじわとオバマ氏支持のムーブメントを育て、そしてサイトを通じて献金を集めて、最後には豊富な資金を誇った筈のヒラリー氏を財政面でも凌駕したのは、これからの新しい時代の幕開けさえ感じてしまう。

また、今回の大統領選挙で印象的だったのがYoutubeの活用。大統領候補に対して、直接一般市民がYoutubeを通じて公開質問をし、TV番組でそれに答えるといった事をしていた。

私には古代ギリシャの全体民主主義の復権のように思えてしまった。選挙期間中にはホームページを変更するのは公職選挙法違反だと言ってインターネットを利用させないどこぞの国とは大違いだ。

本来、インターネット程政治をアクセラレートさせる手段は無い筈なのに。

日本に目を向けた場合、民主主義の根幹である民意の反映は代議士の選出によって行われる。国民は自分の信頼に足る人間を選出し、代議士に政治的発言をアウトソースする訳だ。

古代ギリシャ都市国家ならともかく、議会制民主主義が始まった1890年(明治23年)当時の日本ですら、その人口で全ての人間の民意を集めるのは当然非現実的であった訳で、代議士という形でその民意を集約するしか無かった訳だ。その意味では代議士の選出というのは、民意の量子化、ベクトル化であるとも言える。

また、日本の政体が議会制民主主義へ移った当時は、代議士として選ばれる人間と市井の人間との間には教育レベルに大きな開きがあったと思う。民主主義の建前として、(条件を満たせば)誰でも代議士として立候補は出来るけれども、実際に議員として十分に活動出来る見識と知性を持つ人間はどうしたって人数が限られる。

民意を伝える情報技術の不足と、代議士の素質を持った人間というリソースの不足。この背景で民主主義を実現するための現実解が現在の議会制民主主義であると私は考えている。

そこにありきたりな表現だけれども政治2.0の本質があると思っている。インターネットの普及と普通教育の一般化で、上で述べた条件「民意を伝える情報技術」も「代議士の素質を持った人間」も現代では十分クリアされている。それなら、今の政治システムも変えるべきじゃないのか?

組織やシステムは「ある問題」を解決する為に作られ、機能していくけれども、「ある問題」を解決する事を命題としている以上、最終的には「ある問題」を解決してしまって自分自身の存在価値が無くなる宿命を背負っている。

ところが、大抵の場合は組織やシステムはある一定の成果を上げたあたりから、「自分自身の存続」の為に活動を始めるようになる。道路公団など、当初は国内に十分な道路を整備する事を目的に設立されたのに、いつの間にか道路公団が存在し続ける為に道路を無理にでも作るようになってしまっている。

今の日本の政治もそれに近い状態になっているように思えて仕方がない。議員達は日本の為に、国民の為と活動をしているように声高に叫ぶけれども、実際には自分たちの党や議席の確保が最優先で行動しているようにしか見えない。また、その議員達も十分な教育を受けた人間とも限らず、その才覚においては市井の人間と大差がないと思える人物もちらほらと見受けられる。

本当に今の政治システムのままで日本の政治は務まるのか?既に今の政治の前提条件が変わって来ている以上、政治システムそのものを変える時期なのではないかと思えるのだ。

そこで、私は現代にマッチした政治2.0を妄想してみた。

政治のインターネット活用と言えば、ネット経由の投票なんて話が出るのが関の山だけれども、私はそんなものはもう必要ないと思う。先ほど書いたように代議士とは民意を国会の場に伝える為の代表に過ぎない。と言う事は、民意が直接集計できれば代議士は必要ない訳だ。

ここまでインターネットが普及し、ほぼ成人の殆どがPCなり携帯電話なりを持った現代において、民意を集計することは技術的には可能なはずだ。極端な事を言えば、ある法案の正否について、国民全員がYes/Noで瞬時に投票出来るシステムができあがれば、国会議員が無駄に何十時間も何日も議論する必要もない。大体、国会で議員達が1日議論と称して居座るだけで、どれ程の人件費が必要になるのか考えたくもない。

こんな事を書くと、大抵の場合は「そんな事では衆愚政治になってしまう。」と反論されそうだけれども、Web2.0の世界ではそれは杞憂のようだ。

最近読んだ梅田望夫氏の「ウェブ進化論」に非常に面白い話が載っていた。

氏の本によれば「アイオワ電子市場」というものがあるらしい。この市場ではお金や物のやり取りをするのではなく(一部ではお金が動いてるとの説明もあるけれど)、何かの未来の結果を予想して、それをポイントを使ってやり取りするらしい。その仮想的な市場原理によって、驚くべき結果が出ているらしい。実際にあの大接戦だった2004年のケリーvsブッシュの大統領選挙の結果もビタリと当たったらしい。

ここで重要になるのは、この結果を出した原理こそが、Web2.0を語る上で重要なキーワードである「集合知」という事である。

人間一人一人の考えや判断があまりあてにならないのは誰もが経験的に知っている。ところが、そのあてにならない筈の人間に政治を任せているのが今の政治システムである。

ところが、人間一人一人の考えや判断はまちまちだけれども、何千、何万、何百万もの人間の判断を集計すると、結果的に正しい判断が出る。これこそが集合知の最たるものだと私は思っている。

人間、判断を間違えるのは大抵正しい情報を得ていなかったり、個人の主観に左右されてしまうからだ。だから、個人の判断の精度は低い。ところが、何千、何百もの人間が居れば、その中には正しい情報の断片を持っている人間が居る。それらを集計すると、結果的には正しい情報が得られるのだ。

判り易い例えで言えば「群盲象を撫でる」という言葉がぴったりである。盲人が象を撫でると、個々の人間がてんでんばらばらな事を言うという悪い例えだけれども、Web2.0的に考えれば、その盲人達の意見をまとめる事が出来れば盲人でも正しい象の形にたどり着ける事を意味しているのだ。

本当に国民全体からの意見を集める事が出来れば、そこにはどんなに知性を磨いた一個人が居たとしても決して敵う事の出来ない「集合知」が生まれるのだ。その集合知をもって政治を行えば、決して間違った方向へは進まないだろう。

もしもこのシステムが本当に実現したら、国会議員は不要になり、選挙活動も不要になり、賄賂も買収も公職選挙法すら不要になって、全くもって万々歳じゃないかと思う。それどころか、国会すら不要になる。国会議事堂を潰して、そこに強固なサーバールームでも建設した方が遥かに良いのではないかと思う。

まぁ、そこまでは行き過ぎだとは思うのだけれども、手始めに、今の政治システムにWeb2.0的システムを組入れるアイディアが一つある。

それは「バーチャル国会議員」である。

一人の国会議員を選挙で国会に送り込む。しかし、彼の発言や考えはWeb2.0集合知の結果を述べるのである。選ばれた本人には少々不憫な気もするけれども、今の政治システムを2.0化するにはそれ以外に方法がないのではないかと思う。

国会議員選挙へ出るなんて、普通の人は怖じけず居てしまうし、その素養もない。

ところが、選挙活動はネットの数多の人々によって保障され、その議論、発言はネットの集合知を背景にすれば、これはほとんどどんな人間でも立派な国会議員の役を果たす事が出来るのではないだろうか。

もし、こんなバーチャル国会議員が今の衆院参院を占める事ができれば、先ほど書いた真のWeb2.0的政治、政治2.0を実現する為の法案を通す事も夢ではなくなる。

国民一人一人が真に幸せになれる政治システムが人類史上初めて実現出来るのかもしれない。

もう、TVの前で政治家に届く筈のない愚痴を言う必要はない。あなたは自分の率直な意見を直接民意に反映出来る。

景気が悪くなった?もし、あなたに景気回復のアイディアがあれば、それをバーチャル国会議員を通して国会に提出出来る。

生活が苦しくなった?他に生活が苦しくなった人が大勢増えているのではあれば、それは直ぐに民意に反映されて救済案が迅速に可決される。

これからの21世紀は間違いなく激動の時代になる筈だ。そんな時代を日本として生き残って行く為には意思決定の正確性、迅速性が求められる。政治のIT化、政治2.0こそがその答えになるのではないか...と妄想してみた今日の日記。